011同じ空の下

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幼い頃、氷織がふらりとどこかに出たまま暫く戻らず、寂しくて縁側で膝を抱えていたことがあった。氷織は気まぐれで少し怖いところもある妖怪だけれど、玲香にとっては親に捨てられた自分を拾ってくれ、時々文句を言いながらもなんだかんだ庇護してくれる優しい母親だった。

縁側で寂しさを紛らわせようとしていると(と言っても、膝に顔を埋めてぎゅっと目を瞑るばかりだったが)玲香の隣に天狗の藤が腰を下ろして頭を撫でてくれた。その手は壊れ物に触れるように優しく、だけれど、どこか触れることに躊躇しているようだった。

「氷織はちゃんと帰ってくるから心配するな」

藤の顔はいつも長鼻の赤い面に隠れていて、口元が見えるだけだった。どんな目をして玲香を見ているのかはわからないけれど、柔らかく穏やかな低い声と緩く弧を描く口元から、きっと優しい目をしているのだろうと思う。

「あいつは気まぐれだからなあ。こうしてふらっと出たまま戻ってこないなんて、よくあるんだよ」

だからお前が気にすることじゃない、と藤は先ほどよりも少し強く玲香の頭を撫でた。

「ほら、人間たちはよく言うだろ。『同じ空の下で繋がっている』だったか。うん、それだよそれ」

最後は適当だった。けれども、玲香は藤が自分を気に掛けてくれたことが何より嬉しく、自然と笑みを浮かべることが出来た。

「ありがとう」
「おお、笑ったなあ。よかったよかった」

藤が豪快に笑う。

「氷織の奴は暑くなると部屋に籠もるし、不機嫌で怖いかもしれないが……まあ、それは雪女だから仕方ない。氷織の部屋に入れない時は氷織が部屋を凍らせているんだろう」

玲香はぎょっとした。そこまで暑さが苦手だとは思わなかった。どの程度の気温までなら一緒に居てくれるのだろうか。

「今年の夏は玲香が居るから、どうだろうなあ」

藤はどこか楽しげに言った。玲香は藤の言葉の意味がわからず首を傾げる。
ぼくがいるからって、どういうことだろう。

「きっとそのうちわかるさ。氷織もああ見えてわかりやすいからな」

しみじみと言う藤を見て、玲香はふと頭に浮かんだことを口に出す。

「藤は、氷織のことよくわかってるんだね」
「ん? まあ、長い付き合いだからなあ」

妖怪の「長い」って、どれくらいなんだろう。
玲香はうんうんと唸る。自分が世間の常識を知らない(氷織にそう言われたことがある)からかもしれないけれど、妖怪と人間の感覚は大分異なっているように思う。

「玲香が考えるよりもうんと長いぞ」

藤はにやりと笑った。お前には考えられないだろう、と言われているように感じて、玲香はむっと唇を尖らす。

「僕思うんだけど」
「何だ?」
「……何でもない」

玲香はふい、と藤から顔を逸らした。

氷織と藤って仲が良いよね。

本当はそう言おうとしたのだけれど、それだけでは言い表せないものが二人の間にはあるような気がして口を噤んだ。氷織も藤も、他の妖怪たちと仲良く見える。でも、何となく、二人の関係は他の妖怪たちとのそれとは違うような気がするのだ。それは恐らく、とても心地の良いもので、玲香は自分もその中に入れて欲しいと漠然とながら思った。

でも、今はまだいいや。

仲間に入れてほしいと言うには、まだまだ足りないものがある。何が足りないのかはさっぱりわからないけれど、いつか、生きているうちに、氷織と藤の間にあるものを自分も持てると良い。

玲香は眩しい空を見上げて、そう願った。

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