009おひるごはん

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「玉子焼きもーらい!」

ひょい、と視界の左側から自分のものではない箸が現われて、弁当箱の中の玉子焼きを一つ持っていった。

箸の行方を追って顔を左横に向けると、玲香と同じく霊感があるという後輩――橙木和夏(とうのきのどか)が笑顔でぱくりと玉子焼きを口に含めた。

あ、と玲香が思った時には遅く、和夏は驚いたように目を丸くする。

「つ、つめた……」

咀嚼することなく玉子焼きを口に詰めたまま、和夏はもごもごと呟く。玲香は溜息を漏らした。

「その玉子焼き、最初は驚くよね」

玲香の右隣に座っている茜がくすくすと笑って言った。そういえば茜も、この玉子焼きを食べた時に驚いて身を固くしていた。玲香は当時を思い出して呆れたように息を吐き出す。どうしてこうも、この玉子焼きは奪われがちなのか。

「冷たくても出すなよ。ちゃんと食べろ」

「ふ、ふあい」

いつまでも玉子焼きを噛もうとしない和夏を玲香が鋭く促すと、和夏は間の抜けた声で返した後、もぐもぐ口を動かし始めた。冷たさが歯にでも染みてくるのか、顔を顰めている。
ごくりとようやく玉子焼きを飲み込んだ和夏は玲香に尋ねる。

「せんぱあい、どうしてこんなに冷たいんですかあ」

そう、この玉子焼きは冷たい。冷めた、とかではなくて、冷たい。その理由は酷く単純で明快だ。

「氷織が作ったからだよ」
「え、あの雪女が!?」

玲香の育ての親である雪女――氷織と馬が合わない和夏は思い切り嫌そうな顔をする。氷織と聞いただけで眉間に皺を作る和夏はその感情を隠す気がなくて大変わかりやすい。それについては、玲香は好感を持てると思っているけれど、人の親の名前を聞く度に苦虫を噛み潰したような顔をするのはどうかと思う。

「私も聞いたときはびっくりしたよ。玉子焼きだけは氷織さんが作ってるんだって」
「ええ……なんか想像つかないんですけどお。先輩、いつもこんな冷たい玉子焼き食べてるんですか?」

和夏はありえない、とでも言いたげだ。

「悪い?」
「悪くはないですけどお……」

何か言いたげにする和夏だったが、気まずそうに目を伏せて自身の弁当箱から玉子焼きを取って口に放る。

おい、玉子焼きあるのかよ。と、玲香は微かに頬を引き攣らせた。しかも、玲香の玉子焼きについて苦言を呈した直後に、口直しとでも言うように自分の玉子焼きを食べるって、図太い奴だ。

「ていうか、なんで玉子焼きだけ雪女が作ってるんです?」

和夏が弁当を食べ進めながら合間に聞く。理由を言うか言わまいか、玲香が表情に出さずに悩むと、茜が横から口を出す。

「玲香が『玉子焼き美味しかった』って言ってくれたのが嬉しくて、それから玉子焼きだけは氷織さんが必ず作ってるんだって」
「茜……」

揃いも揃って、何て奴らだ。

「うげえ、まじですか。似合わないんですけど」
「和夏」

和夏の言葉を流石に見過ごせず、玲香は低い声で和夏を窘める。和夏は小さく肩を震わせて、しゅんと眉尻を下げた。

「ごめんなさい、先輩」

まあ、別に、先輩のために頑張っちゃうのは理解できますけど。と、本心かただの言い訳か、ちらちらと玲香の様子を窺いながら和夏は続けた。

玲香はそんな和夏を横目に、氷織が毎日玉子焼きを作るようになったきっかけを思い出す。

本当に些細な一言だった。小学校で遠足があった時に、母親に好物を作ってもらうんだと張り切っていたクラスメートが羨ましくて、氷織に弁当を強請った時のこと。

面倒くさそうに作ってくれた氷織の弁当は、酷く冷えていて。けれど、氷織の優しさに包まれたそれは、とても美味しいと感じた。だから、玲香は氷織が与えてくれたものすべてが嬉しくて、小学校から帰り一番に伝えたのだ。

“美味しかった! あの、玉子焼きが一番、美味しかったよ!”

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