楽しそうな女性の歌声が耳に入ってきて、玲香はつい足を止めて声が聞こえてきた方へ顔を向けた。
公園のベンチの上に立って歌っている女性がいる。その表情も声と同じく楽しげで、歌えることが嬉しくてたまらないといったようだ。
ベンチの上に立っているなんて、そこを通りかかった人はつい目を向けてしまいそうだけれど、ちょうど女性の前を通り過ぎた人は、ちらりとも彼女を見なかった。
ああ、と玲香は察した。
と、玲香の視線を感じたのか、女性が歌を止めて玲香を見た。玲香と目が合うなり、女性はパッと表情を輝かせる。
視えることがバレてしまった。けれど、楽しげな歌声に感化されてしまったのか、まあたまには良いかとふっと息を吐いて、自ら女性へと足を踏み出した。
「こんにちは。あなた、わたしが視えるのね!」
嬉しそうに女性が言った。玲香はこくりと頷く。
「わたし、歌が大好きなの」
聞いてもいないのに、女性が喋り始めた。
「生きていた頃はね、全然、歌えなかったから」
表情が陰る。
「だから、こうして歌ってるの」
陰は一瞬にして雲散し、女性は笑顔を見せる。この短い間にも、女性は表情が豊かで性格も明るく、人に好かれやすかったのではないかと玲香は感じた。
「ねえ、私の歌はどうだった?」
聞かれて、玲香は数秒考える。
「楽しそうだった。けど、少ししか聞いていないよ」
「そう。じゃあ、もう一回聞いてくれる?」
女性が首を傾げて玲香に尋ねた。女性は微笑を浮かべているけれど、少しの不安が見え隠れしている。
「一曲だけなら」
「ありがとう!」
女性は破顔した。彼女が心の底から感謝していることが伝わってきて、玲香は彼女から目を逸らした。眩しくて、直視が出来ない。
「あのね、わたし、死んでからすごく自由なの。誰の目も気にしないで、好きなことができる。生きていた頃は好きな歌も許されなくて息苦しかったのに、今は楽に息ができるの」
でもね、と女性は寂しそうに笑う。
「やっぱり、誰も聞いてくれない歌は、悲しいの」
玲香は何も言えない。
「だからありがとう。見つけてくれて。わたし、あなたのために心を込めて歌うわ」
女性にとって、ベンチの上は初めての自分だけの舞台なのだろう。玲香は歌い始める女性を見上げて、目を細める。
今はただ、観客が居ないと悲しんでいた女性の歌を、自分が最初で最後の観客として聞き届けることが、ただ一つ、出来ることだった。
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