墓場を待つ人

Pocket

死にたい。

その言葉を形作った唇から、声がこぼれることはなかった。息が漏れる音。舌を弾く音。風が運ぶ鈴の音。

目が痛い。口が渇く。汗ばんだ体にひっつくTシャツが煩わしい。どうやら私は、目が覚めたようだ。一度ぎゅっと目を瞑り、開ける。緩慢な動作で窓に目をやった。また目がちかちかとした。痛い。

カーテンが揺れている。暑いのに、視界はやけに涼しげだ。影が揺れている。今年は誰か、この部屋に訪れたのだろうか。

「起きたの?」

とん、とん、とん。規則的なリズムでドアが鳴る。ドアの向こうから、男の声が聞こえた。目を開けただけなのに、彼にはこちらが夢から覚めたのだとわかったようだ。不思議な感覚だけれど、どうやら彼と自分は糸で繋がっているらしい。

返事はせずに、布団から起き上がる。夢から覚めても、頭は覚めない。ぼーっと、ドアを見やった。とん、とん、とん、と再び音が鳴る。

「……起きたよ」

ゆっくりと、ドアに向かった。ドアの向こうは、どこに繋がっているのだろうか、とふと疑問に思う。そんなもの、自宅のリビングに決まっているのに。

「おはよう」

ドアを開けると、恋人がいた。柔らかな微笑を浮かべて、こちらを見ている。やはり、ドアの向こうは自宅のリビングだった。ぱちり。瞬きを、ひとつ。

「誰か来た?」
「来てないよ。どうして?」
「……いや、なんとなく」

今年も来ないのか、と独りごちた。恋人が不思議そうな表情をして首を傾げる。なんでもないよ、と笑みを浮かべた。わかりきっていたことだ。落胆もしていない。

「たばこじゃ、だめなのかも」
「たばこ?」
「うん。たばこの煙」
「なんのこと?」

恋人はますます不思議そうにした。

「そういえば、昨日の夜、たばこを吸っていたね。珍しいなとは思っていたけれど。たばこ、吸う人じゃなかったよね?」
「うん。吸わないよ。昨日は、特別だから」
「何かあったの?」
「さっきから疑問ばかりだね」

冷蔵庫を開けて、ミネラルウォーターを取り出す。ペットボトルのキャップが上手く回せない。見かねた恋人がペットボトルを取り上げた。

「君のことは、まだよくわからない」

はい、とキャップをとったペットボトルを渡してくる。お礼を言って、水を口に含んだ。何となく、体が綺麗になっていく気がした。

「毎年、昨日はたばこを吸うの」
「どうして?」

説明する気にもなれず、テーブルに置いている卓上カレンダーに目を向けた。14日につけられた赤い丸。ああ、今日は外に出なければいけない。蝉の声がうるさそうだ。

「ねえ、教えてくれないの?」

もう一口、水を飲む。また、綺麗になった気がした。そんなことは、望んでいないのだけれど。

「煙がね、必要だから」
「煙?」
「でも、たばこじゃ、きっとだめなのだろうな。なのに、毎年たばこを吸ってる。多分、私が行きたいから、来てもらっても、意味がないのだろうね」

恋人がペットボトルを取り上げ、そのまま水を飲む。不満そうな顔をしている。笑いがこみ上げてきて、つい声を出してしまった。とても、愛しい人だと思う。

「……言いたいことは、何となくわかった。でも、受け入れられないな」
「そうだろうね」
「来年は、ぼくもたばこを吸うよ」

ぱち、ぱち。瞬きをふたつ。

「君が出て行ってしまうのは、嫌だから」
「……うん」
「だから、一緒に待とう」
「うん」
「今日は、花を買えばいいかい?」
「うん」
「一緒には、いかせないからね」
「うん」
「今日は、手を繋ごう。暑いけど、いいよね」
「うん。大丈夫だよ」

どこか遠くで、鈴が鳴る。今日は、とても暑い日だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です