ともだち

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人の死とは、あまりにも呆気ない。昨日まであの子がイスに座って教科書やノートを広げていた机の上には、白い花を生けた花瓶が置かれていた。教室内は、誰かが鼻を啜る音や嗚咽で溢れている。わたしはただその光景を見せられ、第三者の音で耳を侵され、それでも一定のリズムで呼吸をしている。おかしな気分だ。何も考えていないようで、だというのに、心の端から端まで言葉が流れていく。けれど、その言葉がどんな意味を持っているのか、認識はできなかった。

「皆、薄情だと思わない?」

ゆるりと、左に顔を向ける。今まさに皆の心の中心に座している彼女が、むっとした表情で教室を眺めていた。

「普段は興味ないような顔して、死んだ後には『とても優しい人でした』とか、『クラスのムードメーカーでした』って言うんだ。あたしってそんな子だった?」

さあ、どうだっただろうか。わたしの世界は間違いなく彼女で彩られていたけれど、他の人たちにとってどうだったかはよくわからないし、わかる必要もなくて。だから、彼女ばかりを見て、それ以外は見たことがない。

「死ぬって、どんな気持ち?」

どうせまた誰にも届かないだろうと思って、彼女に言葉を投げた。彼女はにかりと笑う。

「腹立たしい」

それから、ハッとした表情になった。

「あ、でも、それはここに来てからの気持ちか。死んじゃって悲しいのは勿論あるけど、これを見せられると、何か白々しくて、腹立つなあって」

確かに、白々しいとは思った。だからわたしの感情は動かないのだろうか。クラスメイトたちは先生の哀悼に共鳴して、すぐさまポーズを取った。そこに「彼女を失って悲しい気持ち」があるのか、甚だ疑問だ。

「成仏するって、どんな感じなんだろうね」

彼女が静かに呟く。それは、水面を揺らす一滴の朝露のようだった。

「怖い?」
「少し。成仏した後、あたしはどうなるんだろう。ぱっと目が覚めた時には違う人になっていて、違う場所で生きているのかな」
「そうかもしれない。きっと、目覚めるまで一瞬なんだろうね」
「寝て起きるだけ。毎日繰り返していたことなのに、怖いって思うのは初めて」

彼女は可笑しそうに笑った。わたしもつられて笑う。わたしも少し、怖いと思った。次に目を開けた時、わたしの隣には彼女が居ないかもしれない。

彼女はわたしの世界の救世主だ。随分と前から、わたしの声は誰にも届かなかった。寂しい。寒い。怖い。助けて。どんなに声を上げたところで、誰も振り向いてはくれなかった。けれど、彼女だけは気づいてくれた。それは、彼女が五歳の頃だったと思う。幼い彼女は無邪気な瞳をわたしに向けた。にっこりと笑って、ひとりぼっちのわたしに手を差し出した。わたしにはその手を握ることは出来なかったけれど、わたしはそのきらきらした瞳とたった一つの動作で、確かに救われたのだ。それからは、わたしにとって彼女が全てだった。そんな彼女が居ない世界は、きっと閉じられた小さな箱のように、狭くて真っ暗に違いない。また、彼女が壊してくれないだろうか。

「来世でまた会えるといいね」

彼女が言う。ドラマかアニメの歌にありそうな一節だ。

「わたしも、そう思う」
「うん。次はさ、一緒に色んな所へ行こうね。海外旅行もしたいなあ。どこがいい?」
「どこでもいいよ」

先生が悲しむ時間を終わらせるために、震える声で何かを話している。先ほどよりも大きくなる人の泣き声と、鼻水を啜る音。その中で弾むわたしたちの声。

「ねえ、今のあたしはあなたに触れるのかな」
「ああ、そうだね。もしかしたら」

彼女はわたしに右手を伸ばしかけて、止めた。わたしはくすりと笑った。うん、怖いよね。わかるよ。わたしに触ることが出来たら、いよいよ実感してしまうだろう。

「手を繋いでいこうか?」

わたしから、左手を差し出した。彼女はきゅっと口を結んで、それからふっと重い息を吐き出す。

「ごめんね。嫌なわけじゃないの」
「うん」
「ただ、ただね。今まで遠かったものが突然近づいてくると、怖いなって」
「わたしが怖い?」
「……少しだけ」

彼女は、申し訳なさそうに笑った。謝る必要なんてないのに。彼女は昔から、本当に優しい子だ。だから、わたしみたいな霊に連れて行かれてしまうのだ。

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