アルストロメリア赤穂渚編ー12

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眠い。
玲香は欠伸をかみ殺す。しかし、睡魔への抵抗むなしく、呆気なく机に突っ伏した。
宣言通り、朝六時辺りまで渚と喋り通していたため、深夜に起きた後はまったく眠っていない。
食卓では勘の良い氷織が物言いたげにこちらを見てきていたが、何とか誤魔化した。眠っていない上に、朝から精神を消耗してしまった。

「白波」

ほんの数時間前まで聞いていた声がその時よりもクリアに聞こえて、机に寝かしていた上半身を起こしそちらへ顔を向けた。

「はよ」

机の横に立った渚がはにかんだ。照れているのか、頬がほんのりと赤く染まっている。眠そうに見えないのは何故だろうか。こちらは眠くて今にも意識を落としそうだというのに。

「……おはよう」

玲香はぼんやりとした視界をどうにかしようと右目を擦る。目を開けると、さらにぼやけてしまった気がした。

「眠そうだな」

渚が苦笑気味に言った。その顔には玲香に対する申し訳なさは少々滲んでいるが、電話越しの声に含まれていた遠慮は姿を消している。そのことに玲香は安堵を覚えて、密かにほっと息を吐いた。それから恨みがましく渚を見やる。

「眠い。なんで元気なの」
「白波から貰ったのかな」
「返せ」
「嫌だ」

にかり、と渚が笑う。

「泥棒だ」
「電話してきたのは白波だろ」
「僕の元気を盗んだ」
「ははっ。本当に眠いんだな。返しが適当だ」

軽口が続く。ふんわりと心地の良い柔らかな布団に体を埋めているような、そんな気分になった。ほんの少し、ほんの少しだけだけれど、渚には甘えたくなるような雰囲気がある、気がする。

「本当に眠いよ」
「ん。ありがとう」

ふわりと笑った渚の右手がぽん、と玲香の頭の上に乗る。玲香は呆けたように渚を見つめた。

「え、何」
「無防備」
「眠いから?」
「そうかもな」

最早自分が何を言っているのかわからない。玲香は重たい瞼を懸命に持ち上げて渚を見続ける。渚が何を考えているのかも、わからなかった。

「明後日から夏休みだから、頑張ろうな」
「……年下扱いされてる気がするのは、気のせい?」
「気のせい気のせい」

こそこそと玲香と渚を見て話す生徒たちが多い。寝ぼけ眼ではハッキリと捉えることは出来ないが、教室内の雰囲気で察した。

「なあ、今日の放課後、時間あるか?」
「あるけど……」
「俺の話、聞いてくれないかな」

それまでと打って変わって、おそるおそると渚は言った。眉尻を下げて、不安そうにしている。

「いいよ」

玲香は迷うこと無く頷いた。渚は顔を綻ばせる。

「ありがとう」

また放課後、と言って渚は自席へと戻っていく。渚の友人たちがすぐさま彼を取り囲んで質問攻めにしているのが見えた。

と、玲香の机の横に、誰かが立った。おおよそ高校生のものではない小さな体躯に、正体を察してそちらを見遣る。
赤穂潮音だった。初めて話してからそこまで長い時間は経っていないけれど、随分久しぶりにその姿を見たような気がする。潮音は玲香と目が合うと、言葉を発さずに口を動かして笑った。その唇が|象《かたど》った言葉は、感謝の五文字だった。

玲香が小さく頷くと、潮音は礼儀正しくお辞儀をしてから渚の元へ戻った。

潮音の背中を見つめて、思案する。問題は、今後どうやって渚の身に起きている現象の原因を突き止め解決するかだ。きっと、今日の放課後にその糸口が見えてくる筈。
そう覚醒しきっていない頭で考えていると、誰かにガッと右肩を掴まれた。結構、痛い。

「……茜」
「れ、れれ、玲香さん!?」

肩を掴んできた張本人である茜は酷く動揺していて、玲香の名前を呼ぶなり口をぱくぱくさせて言葉を続けられずに居る。

「どうやったらそこまで動揺できるの」
「なん、な、何あれ!」
「どれだよ」
「いつの間に赤穂くんと仲良くなったの!?」

なるほど見ていたのか、と玲香は納得する。確かに、普段関わりのない者同士が何の前触れもなく(いや、保健室事件がその兆候だったとも言えるけれど)親しげに話し始めたら、教室という狭い閉鎖空間では特に注目されてしまう。加えて、茜は玲香と唯一仲良くしている少女でもあるし、ある程度事情を知ってるとは言え驚くだろう。

「昨日……じゃないな。今日の深夜? から、朝まで電話してて」
「なにゆえ!?」
「……茜って、そういうキャラだっけ」

茜の勢いに玲香はたじろいだ。茜はハッと我に返ったと思うと、今度は表情に憂色を浮かべた。

「もしかして、赤穂くんに何かあったの?」

玲香は首肯した。具体的に何があったかは明確に把握していないので口に出来ないが(例え把握していても渚本人の話を自分がする気はないのだが)、何かがあったことには間違いない。

「今日、一緒に帰れないから」

それだけ言うと、茜は事情を察したようで神妙な面持ちで頷いた。

その時、ふと視線を感じてそちらに顔を向けると、教室のドアの向こう側に立ち睨むようにしてこちらを見る少女と目が合った。
明るい茶色の腰まで伸びた髪はゆるく巻かれ、くりっとした黒目がちで大きな瞳は強い意志を感じさせる。小柄ではあるが、圧のある美しい少女だ。
少女は玲香と目が合うなり顔をふいと背け、その場を立ち去った。

はて、と玲香は首を傾げる。人の顔さえなかなか覚えられない性分ではあるが、あれだけ気の強そうな美少女ならば、頭の片隅に残っていても可笑しくはない。しかし、まったく、記憶にない。彼女は一体、誰なのだろうか。

「ねえ玲香、今のって、輝夜さんじゃないかな」
「輝夜?」

傍に居た茜も少女のことを見ていたようで、内緒話をするように玲香に顔を寄せ小声で話す。

「あまり学校に来ない子なんだけど……今日は来てたみたいだね」
「へえ」

適当に相槌を打つ。不登校か何かだろうか。

「そういえば、赤穂くんの幼馴染みだって話しも聞いたことがあるけど、学校で二人が話してる姿は見たことないかも。輝夜さんが学校に居ないのもあるだろうけど」

赤穂くんが心配で来たのかな、と茜がぽつりと呟いた。
幼馴染みであれば、それは確かにあるかもしれない。けれど、玲香を睨んできた理由にはならないだろう、と玲香は思う。知らないうちに、輝夜の気に障るようなことをしてしまったのだろうか。特に顔を合わせたこともないのだから、恐らく渚に関わることなのだろう。

まさか、親しげに話している様子を見て?

そこまで考えて、玲香は溜息を吐いた。考えるだけ無駄だ、これ以上は止めておこう。今は渚の身に起こっていることの原因を突き止めて解決させることが何よりも重要だ。

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