アルストロメリア赤穂渚編ー6

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鞄の中からスマホを取り出し画面を確認すると、『紫藤茜』の文字が表示されている。渚を保健室に連れ出した件だろうか。画面をスライドさせてスマホを耳元に近づけた。

「もしもし」
「あ、玲香。今大丈夫?」
「うん」

電話越しの茜の声は普段よりも些か高く聞こえる。

「あのね、今日のことなんだけど……」

茜の声が尻すぼみになっていく。

「玲香、いきなりあんなことするから」
「騒ぎにでもなった?」
「う、うん」

玲香は思わず嘆息した。予想はしていたことだけれど、渚に申し訳なくなる。

「……ちょっと、甘かった」

渚の顔色があまりにも悪かったので、見ていられず教室を連れ出した。しかし、よく考えてみれば人が沢山集まっている教室内の方が気は紛れたかもしれない。所詮は他人の心なので、いくら想像しても正解など本人にしかわからないが。

「結果的にはそうかもしれないけど、私は、玲香は優しいなって思ったよ」

とても柔らかな声。

「私、赤穂くんの後ろの席だから、赤穂くんの様子はよくわからなかったんだけど……玲香と一緒に教室を出て行く時に見た赤穂くんは、本当に具合悪そうだったし。それと、何て言うか、教室の雰囲気も、あまり良くなかったから」

玲香はその時の様子を脳裏に浮かべる。突然落ちた壁掛け時計。自然現象と言うには些か不自然な現象。それと、ほんの一瞬、足元を撫でた冷気。

「明日から、もしかしたら周りの人たちが騒ぐかもしれないけど、大丈夫だと思う。赤穂くんは、色々聞かれちゃうだろうけど」
「……だろうね」
「でも、やっぱりあのまま教室に居るより良かったんじゃないかなあ。直感なんだけどね」

茜は誤魔化すように笑いながら言った。
茜は幽霊の存在を目にすることは出来ないが、感覚は鋭い。茜が『あのまま教室に居るより良い』と言うのであれば、おそらくそれは当たっている。怪奇現象に限らず、教室の雰囲気も、渚にとっては良くないことばかりだった。

「それを言うために、電話したのか」
「うん。ちょっと心配で。玲香、意外と気にしいでしょ? 赤穂くんのことで、何か思い悩んでるかなって」

玲香はふふっと息を漏らして笑った。本当に何というか、茜は自分の理解者だ。気恥ずかしいので絶対に口には出さないが。言わなくてもこちらの考えていることが伝わるというのは、過ぎてしまうと気味が悪いものでもあるが、案外心地が良い。

「玲香?」
「いや……ありがとう。実は結構、気にしてたんだ」
「やっぱり」

嬉しそうな声が聞こえて、玲香は苦笑する。
高校生にして初めて出来た人間の友人を、玲香は手放せそうにない。

「それで、玲香」
「何」
「赤穂くんのこと、どうするの?」

心配げに尋ねられ、玲香は言葉を詰まらせた。茜の声は確信的で、周囲に人が沢山いるあの場で玲香が動いた以上、霊が絡んでいるということを理解している。

「どうするって……」

赤穂渚をどうするか。茜が聞きたいのは、助けるのか否かだろうが、玲香は決めきれていなかった。けれども、見捨てるというのも、どうにも出来そうにない。

「まだ、何が原因かもわからないんだ」
「そっか」
「でも、何か悪いものが憑いていることは、間違いない」
「……うん」

まだ、何もわからない。せめて、潮音からもっと詳しく話を聞くことが出来れば、例え霊を祓える力がなくとも何かしら対策を打ち立てるなり、自分なりに調べるなり出来た。しかし、渚の身に何が、どういう理由で起きているのかわからない限り、下手に行動することは出来ない。

「ひとまず、様子を見る」
「うん」
「あと……」

茜にもこのことを話すべきだろうか。と玲香が言い淀むと、

「出来れば、私にも教えて欲しいな。玲香の力になりたいから」

茜が優しい声で言った。

「巻き込みたくないから距離を取ろうなんて、寂しいこと言わないでね。私は大丈夫だよ。鬼一さんから貰ったお守りも持ってるしね!」
「……鬼一か」

鬼一とは、隠世に屋敷を構えている陰陽師だ。妖怪や幽霊といった怪異を祓うことを生業としている癖に、妖怪たちの世界である隠世に生きることを決めた奇妙な男である。隠世では人間が歳を取ることはないため、鬼一は二十代のまま数百年も生きているという。玲香とは幼い頃からの付き合いだ。

氷織や藤とも付き合いは長いらしく、鬼一は彼らを祓おうとはしない。曰く、『害のない妖怪を祓おうなんて労力の無駄だ』。そういう、陰陽師としては一風変わった奴なのだ。

「ちゃんと今も持ってるんだ」
「もちろん!」

以前、茜がとある怪異事件に巻き込まれた際、玲香が鬼一に助力を求め助けてもらったことがある。その後、「お前はどうやら怪異に関わることが多そうだから」と茜は鬼一お手製のお守りを譲り受けた。以来、茜はそのお守りを肌身離さず持っている。

「まあ……いざとなったらまた鬼一を頼るか」

玲香は少し、嫌そうに言った。鬼一は陰陽師としての力はとても強いのだけれど、男としてはとても軽い。中学生になった辺りから鬼一に会う度に口説かれるのには、うんざりしていた。ロリコンなのかお前は、といつも思う。口説くなら氷織みたいな美人にしてほしい。そう言うと、氷織に怒られてしまうが。

「じゃあ、明日にでも話す」
「今日は大変だったもんね。ゆっくり休んでね、玲香」
「……茜も」

じゃあ、と挨拶をして電話を切る。スマホの画面をそのままじっと見つめた後、電源ボタンを押して畳の上に放った。
と、障子の隙間から冷気が漂ってきて、玲香はぎくりと体を硬くした。おそるおそる障子の方を見ると、数センチ開けた隙間から氷織がこちらを見ていてぎょっとする。

「ひ、氷織」
「……誰と話していたんだい?」

にやり、と氷織が形だけ笑って、いつもより幾分低い声で尋ねた。玲香は口元を引き攣らせ、

「あ、いや、友だち……?」

と、氷織から目を逸らして言った。氷織は障子をスパンッと開けて笑みを深くする。

「へえ? アンタに友だち……ああ、あの女か。あの紫藤とか言う女、相変わらず玲香を誑かしているのかい?」
「誑かしてるって……」

肌に纏わりつく凍えるような空気に、玲香はぶるりと身を震わせた。氷織の怒りの対象は茜の筈なのに、何故自分が攻撃を受けているのだろうか。茜に直接向けられるよりはマシではあるのだが、何だか釈然としない。

「アンタは霊や妖怪ばかりでなく、厄介な人間も引き寄せちまうようだからねえ……。何かあったらすぐ私に言うんだ。邪魔な奴らは全部凍らせちまうから」
「うん、何かあったら相談するよ」

氷織の玲香に近づくもの全てを蹴散らさんとする鋭く冷え切った眼光は酷く恐ろしいが、それが玲香の身を心配してのものだということは知っている。だから玲香は、毎度苦笑を浮かべながら氷織に礼を述べるのであった。

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