アルストロメリア赤穂渚編ー5

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「また何か変なことに首を突っ込んでんじゃないだろうね」

玄関の戸を開けた玲香に、おかえりの一言もなく開口一番に氷織は言った。玲香は一瞬固まり、それからふっと息を吐き出して首を横に振った。

「違うよ。春頃に事故に遭って休んでたクラスメイトが、今日復帰したんだ」
「おやまあ。それは大変だこと」

氷織はわざとらしく目を丸くして驚いて見せた。少しもそう思っていないくせに、氷織はたまにそういう様子を見せる。

「で、誰か死んだのかい」

本当に、歯に衣着せぬ物言いをする。玲香は出掛かった溜息をぐっと堪えた。率直なのは大変良いことなのだが、こういうところに妖怪と人間の感覚の違いを見てしまう。否、人間にもこういう人はいるけれど。なんとなく、人間のそれとは異なる雰囲気というか。

玲香は物心ついた時から氷織たち妖怪と生活してきたけれど、それでも自分はやはり人間なのだと思うことがある。寂しいことだけれど、仕方がなかった。

「その人の弟が亡くなったらしい」

その事実は特に生徒たちには知らされていないが、保健室での一件でわかったことだ。不本意ながらご本人の口から伝えられたのだから、間違いない。

「ふうん」

そりゃ残念だね、と氷織はまた心にもないことを言った。

「さっさと中に入りな」
「氷織がここで話し始めたんだろ……」
「そうだったかねえ」

玲香は息を吐いてから靴を脱ぎ、式台に上がる。振り返って床に膝を付き、脱いだ靴を正面に向きを揃えた。

「お前は本当に引き寄せる子だ」

ふいに、玲香の背後で氷織が呆れたように言った。玲香は立ち上がり、振り向いて眉を寄せる。

「嬉しくない」
「だろうね。まあ今回のは大したことないだろう。薄い靄がかかっている程度だからね。早くシャワーでも浴びて流しちまいなよ」

氷織は右手をひらひらと揺らして言った。玲香はうん、と頷いてから自室へと向かう。
既にその兄弟と関わってしまったとは、言えそうにない。
自室に入り、鞄を畳の上に放る。そのままどさりと腰を下ろして、保健室での出来事を思い返す。

玲香に声を掛けてきた少年霊は、赤穂潮音(あかほしおん)と言い、やはり渚の弟であった。潮音は自身の名前と春の交通事故で亡くなったことを告げた後、力尽きたように姿を消した。おそらく力の強くない霊である潮音は玲香に声を届けるのもやっとなのだろう。今は渚の傍で休んでいるに違いない。

潮音が玲香に伝えたかったことは、十中八九、渚のことで間違いないだろう。子細はわからないが、守護霊になっているくらいなのだ。兄のことがとても大切で、心の底から心配しているのは容易に見て取れた。

……そう、潮音は渚の守護霊だ。だから、玲香が見た渚に憑いている黒い靄は潮音の影響ではない。

となると、潮音は霊の見える玲香に、これから渚に起こること、もしくは現在進行系で起こっていることを何とかしてほしいと頼みたかったのかもしれない。あの必死な形相からすると、渚の身に何か悪いことでも起きようとしているのか。

玲香は深く息を吐いて体を仰向けに倒した。

氷織は「大したことない」と言っていた。けれど、それは今だけの話で、これから酷くなっていく可能性もある。今回の事故だって、それが直接的な原因ではないかもしれないけれど、要因の一つになっているというのは十分ありえる話だ。

というか、氷織基準の「大したことない」はなかなか宛てにならない。

玲香は思わず両手で顔を覆った。そうだ、宛てにならない。氷織は玲香にさえ影響がなければ、玲香の周囲で何が起ころうと知らん顔だ。興味も持たない。

多分、現段階では玲香に危害はないと氷織は判断した。玲香が渚と潮音に接触したことを知らないからだ。

「……面倒くさい」

ぽつりと呟いた。
けれど、渚は今も苦しんでいるのだろう。傍にいる潮音も。自分では守り切れないと自分の力のなさを悔やんでいることだろう。渚の蒼白い顔と潮音の必死な顔を思い出しては、玲香の胸はつきりと痛んだ。

切り捨ててしまえばいいのに。

心の中で吐き捨てて、玲香はぎゅっと目を瞑った。

「おい玲香―。ちゃんと手ぇ、洗ったかあ?」

いつの間にか部屋の前に来ていたらしい藤が、障子の向こうから玲香に声を掛けた。
相変わらずの世話焼きだ。玲香は藤の呑気な声に表情が緩んだ。起き上がって障子を開けると、藤がにかりと笑った。

「これから洗うよ」
「しっかり十五秒以上洗うんだぞ!」
「……何それ。テレビでやってたの?」
「おう。昨日のテレビで言ってた」
「ふうん」

藤は本当に現代に染まっているな、と玲香は適当に返しながら思った。
と、鞄の中から着信音が聞こえた。玲香と藤は顔を見合わせ、藤は気にするなと言うように右手をひらひらと振ってその場を去った。

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