アルストロメリア赤穂渚編-1

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かたり、と部屋のどこかで音がした。

決して大きくはない音であったが、闇に包まれている部屋ではよく響き、赤穂渚は目を覚ました。夏が近づいてきて徐々に暑さを増しているためか、じんわりと汗を掻いている。そろそろ寝間着を薄いものに変えた方が良いかもしれない、と渚は大きく息を吐き出した。

ゆったりと緩慢な動きで体を起こす。ぱさり、と上半身に掛けていたタオルケットが太ももの上に落ちた。ぼんやりとした視界で辺りを見回すと、闇が貼り付いているばかりでよく見えない。

やけに喉が渇いている。渚は無意識のうちに喉に触れ顔を顰めた。一階の台所まで行くのは少々面倒だが、仕方ない。水を入れたペットボトルでも用意しておけば良かった。

渚は二段ベッドの下段から降りようと足を横に動かすと、ベッドの左側に外付けしている梯子にぶつけた。膝を曲げて足を上半身に寄せる。時々、つい梯子の存在を忘れてぶつけてしまうのだ。渚の体躯にはベッドの幅が狭い。梯子だって、外してもいいのではないだろうか。上段はもう空っぽなのだし。

渚はずしり、と胸に重りがのしかかったように感じた。かた、とまたどこかで音が鳴る。再度大きく息を吐いて、今度こそベッドから降りた。そろそろと摺り足でドアの方へ歩き、ドアの横にある照明のスイッチをつける。ぱっと明かりが点き、突然の光にぎゅっと目を瞑った。ゆっくりと目を開け、何の気なしに部屋中を見回す。蛍光灯を変えたばかりだが、どこか薄暗いように感じる。

さっさと水を飲んで寝てしまおう。渚はドアを開いて廊下に出た。

渚の部屋は二階の二部屋あるうちの一部屋だ。日当たりの良い場所で、日が高く昇っている時間は電気を点けなくても済む。もう一つの部屋は向かい側にあり、父親が書斎にすると言って古本から真新しい本まで沢山置かれている。整理整頓の苦手な父親がそれらを管理できるわけもなく、どの本棚に何の本が仕舞われているは誰もわからない。本を貸して貰おうと思うと好みの本を探すのが一苦労で、母親はよく苦言を呈していた。

廊下に出てから右に数歩歩くと、左側に階段がある。渚はすぐ降りようとせず、階段の下を覗き込んだ。天井の照明を点けずとも足元が見えるように、階段の壁の下部には一定の間隔でオレンジの照明が点されている。今日のように深夜に目を覚ました時にはとても有り難く、その明かりを頼りに一階に降りるのだが、最近は何故か、オレンジのぼやけた明かりが、否、それを取り囲んでいる闇が、やけに不気味に感じる。

どくどくと心臓が大きく脈打つ。隙間風か、足元に冷気を感じてさらに薄気味悪く思った。この廊下にも居たくない。

渚は喉の渇きを無視して部屋に戻った。部屋のドアを閉めると、無意識のうちに詰めていたらしい息を一気に吐き出した。

疲れているのだろうか。二ヶ月前に起こった事故以来、何だか体が重い気がする。

二段ベッドの上段に目をやる。その空間だけ、使用者を失った時から時間が止まっているように思えた。否、きっと、自分もその時から進めていない。自宅から出ようと思えないのが、その証拠でもあった。この部屋にも、出来れば居たくない。寝る時以外は、一階のリビングが今の渚の居場所だった。とはいえ、心は安まらない。いつだって、自分が責められているような感覚に陥る。

ゴトッと音がした。渚はびくりと肩を震わせ音の方に顔を向けた。二段ベッドと反対側にある勉強机の上に置いてある、写真立て。写真が伏せられるように、倒れていた。

渚は部屋の照明を落として、急ぎベッドに潜った。頭からタオルケットを被り、写真立てに背を向けてぎゅっと目を瞑る。とっくに枯れた筈の涙が溢れそうだった。

もうやめてくれ。許してくれ。
そんなことを、言える筈がなかった。

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