中世ヨーロッパを襲った恐ろしい病気「ペスト」とは

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中世ヨーロッパは、衛生、医療が現在ほど発達していませんでした。そのため、たびたび疫病が流行してしまいます。

その中でも、「大いなる死」や「黒死病」と呼ばれ恐れられたのが「ペスト」という病気です。

 

ペストとは

ペストは、ペスト菌による感染症です。肌が黒くなり亡くなることから「黒死病」と呼ばれました。

中世ヨーロッパでは、肺ペストと腺ペストの感染が見られ、特に腺ペストが「黒死病」の正体であると言われています。

現在では、ペストは空気感染、またネズミやネズミについてノミやダニを媒介して感染することがわかっています。しかし、中世の人々にとっては、正体不明の「未知の病」

この「黒死病」によって、14世紀ヨーロッパの死者は、約2500万人となりました。
あまりにも多い死者に、協会では全員を正規の埋葬ができない状態でした。

 

ペストへの恐怖で生み出された芸術や宗教的な流行とは

中世ヨーロッパの人々にとって未知の病であったペスト。人々は原因がわからない恐怖の病を、神からの罰だと考えるようになりました。

 

骸骨と生者が踊る「死の舞踏」

 

ペストが流行っていた頃、協会や墓地に「死の舞踏(ダンス=マカブル)」と呼ばれる壁画が描かれるようになりました。

「死の舞踏」の起源は諸説ありますが、ペストが起源とする説がもっとも有力です。

「死の舞踏」には、骸骨やミイラなどの死を擬人化した者が行列をつくり、踊りながら墓場まで行く姿が描かれています。死者には様々な身分の者がおり、ローマ教皇や国王、王女、聖職者や騎士、そして商人や農民、子どもまでいます。

死は、身分や立場などは関係なく平等にやってくる。

ペストの流行により死と真剣に向き合った結果、生まれた作品なのでしょう。

 

罪を悔い改めるむち打ち行者

ペストを「神罰による災厄」であると考えたヨーロッパでは、自身の罪を悔い改めるため、裸になって自らをむち打つ「むち打ち行者」が流行しました。

「むち打ち行者」は、本来規則違反などの罰則でしたが、神に許しを乞い救いを求め、自らにむちを打ちながら街を歩く人々が多く見られました。

しかし、自らを傷つける行為は、疫病の蔓延に拍車をかける結果となります。

 

ペスト流行の原因とは

中世ヨーロッパでのペスト大流行の原因は、モンゴル軍の大移動と言われています。

当時のモンゴルは、ポーランドをはじめ、破竹の勢いでユーラシア大陸を横断しました。また、中東から中央アジア南部にかけて建国するなど、勢力を拡げました。

このモンゴル軍による東西の移動や、モンゴル支配下におけるユーラシア大陸東西の交易が盛んになったことが、ペスト流行の背景だと考えられています。

交易でヨーロッパに運ばれた毛皮についたノミが、ペスト菌を媒介したのです。

 

まとめ

いかがでしたか?

現在は医療が進み、未知の病ではなくなっていますが、当時の人々にとっては治す手立てのない、酷く恐ろしい病であったことでしょう。

 

<まとめ>
・ペストはペスト菌による感染症で、「大いなる死」や「黒死病」と呼ばれた。
・芸術面では、死を擬人化した「死の舞踏」が流行
・宗教面では、自らの罪を悔い改める「むち打ち行者」が流行
・ペスト流行の原因は、モンゴル軍の大移動

 

それでは、最後までお読み下さりありがとうございました!