東日本大震災での経験

m3u1gyyn

こんにちは。
声優アーティストとして、日々精進中!
雪花です。

私は、現在東京に住んでいますが、
2年前までは宮城県に住んでいました。

就職を機に、東京に引っ越してきたのです。

さて、今「宮城」と聞いて、何が浮かんだでしょうか?

人に「宮城県出身です」と言って、決まって聞かれること。
それは、

「震災は大丈夫だったの?」

そう、東日本大震災についてです。

東日本大震災

2011年3月11日。
大きな大きな地震が起き、津波が街を流していきました。

ああ、もうだいぶ経っているのか。
当時のことは、まだ鮮明に覚えています。
もう、何年も前の出来事なのですね。

私は、震災当時、大学の二次試験を翌日に控え、自宅で勉強していました。
母と弟も自宅にいて、父は仕事、兄は埼玉にいました。

「いよいよ明日で勝負が決まる」

そう思い、がりがりと勉強をしていた時、それは起こりました。

ガタガタガタッ!

突然の激しい揺れに、私の体は飛び跳ねました。

「隠れなさいっ!!!」

母親の叫び声が聞こえ、私は急いで机の下に潜りました。
揺れは続き、私はただただ目をつむり、早く終わってと願うだけでした。

ガタン!と何かが落ちる音。
地面が揺れている音。
ガラスが割れる音。

すべてが恐怖でした。

どれくらいの時間が経ったのか、揺れは収まりました。
部屋の中は、とにかくめちゃくちゃで、ものが散乱し、
足の踏み場もありませんでした。

母も弟も怪我はなく。お互いの無事を確認し、状況を把握しようと
窓から外を見てみました。

すると、自宅の目の前にある大きな川の堤防が決壊していました。

「津波が来るかもしれないから、避難するよ」

母の指示により、私たちは丘の上にある小学校へ向かいました。
途中、道路が地割れを起こしているのを見かけました。

私はその時何を考えていたのか、思い出せません。
なにも、考えられていなかったのでしょう。

町をのみ込む津波

小学校に着くと、そこは避難してきた人々で溢れていました。
その中に、私は友人を何人か見つけ、お互いの無事を喜びました。

しかし、近くに住んでいる友人全員がそこにいた訳ではなく、
私は、彼らが無事なのかと思い、胸がきゅっと締まるような感覚を覚えました。

大雪が降りはじめ、体を震わせていた頃、
町を見下ろしている人々が多くなっていることに気づきました。

「津波だっ!!」

私も急いで町を見下ろしてみると、波が迫って来る様子が見えました。
私の町は、津波による被害はそこまで大きくなかったのですが、
町が波に浸食され、道路に止めていた車が流されていく様子は、
とても恐ろしかったものです。

本気で「死」を意識した瞬間

地震により、私が住んでいる地域にある火力発電所が火災を起こしました。

避難した小学校の教室の窓から、轟々と燃え盛る炎が、ずっと視界に入るのです。

発電所が爆発を起こすかもしれないから、とカーテンを閉め、皆で窓から離れた場所に身を寄せました。

カーテン越しに見える炎に、私は

「あ、私、ここで死ぬんだな」

と思いました。

ゆっくりと、死への恐怖を感じ始めた時、ちょうど仕事場から戻ってきた父親と合流することができ

少しほっとしたのか涙が流れました。

その日は、いつ爆発するかわからない火力発電所の炎に震えながら、浅い眠りについたことを

覚えています。

生きるために

次の日、小学校からの付き合いである親友二人と合流できた私は、

彼女たちと食料を求めて町を歩き回りました。

隣の市まで歩くことができたのは、親友たちと一緒だったからでしょう。

「死にたくない」

という思いで、何件もお店を回りました。

町を歩いていくと、水没している道路や、地割れを起こしている道路と遭遇し、

また、火事を起こしていた発電所から立ち上る黒い煙が、

空を覆っていく様子が見えました。

とても、怖かったです。

それでも、生きるために歩きました。

友人と励まし合いながら、長い時間歩いていました。

やっとの思いで手に入れた水やおにぎりが、とても美味しかったです。

人との助け合い

震災の経験で、一番実感したのが、人との助け合いが生きるには重要だということです。

震災時、食料が思うように手に入らない中、知らない人同士で

手に入った食料を分け合ったり、体調のすぐれない人が暖かくできるように

毛布を持ち寄ったりと、助け合う姿があちらこちらで見えました。

もちろん、私や私の家族も、知らない人に助けられ、知らない人にものを分けました。

お互いに感謝しながら、頑張って生きようとする姿は、普段の生活の中では

あまり見られないものでした。

震災経験を伝える

震災は、経験してよかっただなんて言えませんが、感じたことに関しては大切にしていこうと

今では思えます。

あまり思い出したくもありませんが、それを伝えていく勇気も、必要なのかなと思っています。

そのため、この記事を書こうと思いました。

この記事で、震災の怖さ、人との助け合いの重要さなど……少しでも感じて頂けるものがあればと

思っています。

m3u1gyyn

声優アーティストとして日々精進中。

雪花

Twitter→@setu_yume

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